グンブロ広告
ビジネスライセンス料 3,000円/月

飲食関連事業用 ライセンス 毎日1セット広告 1,600円/月

2015年07月08日
個人のこだわりと、第三者の価値観(中篇)
来年の大河ドラマはトテモ楽しみです。
お隣の神州(信州)は、多いに盛上っておりまして
観光大国の本領発揮と期待をしているところでもあります。
さて、先日のブログのなかで
「真田三代」における一般的な認識として
真田家台頭の初代として 弾正幸隆
信玄公の懐刀、安房守昌幸
そして、大阪で華と散った真田幸村。
この3人を総じて「真田三代」と言うのですが
なぜ真田信幸、つまり幸村のお兄ちゃんが
「真田三代」に入らないのか?
お兄ちゃんを蔑(ないがし)ろにするのか?
個人的にトテモ違和感を感じます。
歴史史実の云々を語るつもりはありませんが、
父、昌幸 弟の幸村(信繁)の必死の命乞いや
長年の忍耐のよる、真田家の継承の尽力が
もう少しクローズアップされても、
いいんじゃぁないかなー、と思う
今日この頃であります。
幸村(信繁)をけっして、否定はしておりません、
幸村の功績も、真田家にとっては大事なことが、たくさんありますからネ。
本名 真田信繁は、父昌幸が信玄公の御弟、典厩信繁公から
頂いて名付けたと言われていますが、
この武田信繁公も、戦国武将ファンには、根強い人気の武将ですよネ。
「兄を良く助け・・・」と言う思いもあって、父昌幸は名付けたのかは
本人のみ知るところでしょうか?
話しはまとまっていませんが、残りは後編で。

長野県上田市にある「真田三代」のレリーフ
信幸、お兄ちゃんのレリーフがありません、悲しいです