2009年02月27日
「牛に引かれて善光寺参り」由来 (小諸布引観音)
「牛に引かれて善光寺参り」という諺がございますが、
その伝説の由来であるのが、
ここ小諸の布引山釈尊寺、通称「布引観音」でございます。
昔々、信仰心の薄い老婆が住んでいました。
この老婆が千曲川で布を晒していますと、どこからか
一頭の牛が現れて、その布を角にかけて走り出しました。
老婆は驚き、野を超え、山を越え、牛を必死に追いかけました。
気がつくと善光寺の境内まで、来ておりました。老婆はやっとのことで
牛に追いついたのもつかの間、牛は金堂で突然、姿を消してしまいました。
驚きと悲しみに疲れ果てた老婆は、
あっけにとられ、その場に佇んでしまいました。
日暮れになり、何処からかともなく、一条の光明がさし
その霊光の尊さに思わずひざまずき、菩提心を起こし
一夜、金堂にこもって罪悪を詫び、家に帰りました。
ある日、ふと布引山を見ると岩角に
あの布が吹きつけられているではありませんか。
老婆は何とかして取り戻そうとしましたが
断崖絶壁で取る術もありません・・・
一心不乱に念じると、布は石と化してしまいました。
いまでも、布引山の断崖には、
白く布の形をした岩肌が眺められます。
布引観世音菩薩が、牛に化して信心のうすい
老婆を善光寺阿弥陀如来の許に導き教化をしたそうです。
今年は丑年で、アッ、善光寺も御開帳の年ですね
もうこの参道みると、ワクワクするのです・・・
その伝説の由来であるのが、
ここ小諸の布引山釈尊寺、通称「布引観音」でございます。
昔々、信仰心の薄い老婆が住んでいました。
この老婆が千曲川で布を晒していますと、どこからか
一頭の牛が現れて、その布を角にかけて走り出しました。
老婆は驚き、野を超え、山を越え、牛を必死に追いかけました。
気がつくと善光寺の境内まで、来ておりました。老婆はやっとのことで
牛に追いついたのもつかの間、牛は金堂で突然、姿を消してしまいました。
驚きと悲しみに疲れ果てた老婆は、
あっけにとられ、その場に佇んでしまいました。
日暮れになり、何処からかともなく、一条の光明がさし
その霊光の尊さに思わずひざまずき、菩提心を起こし
一夜、金堂にこもって罪悪を詫び、家に帰りました。
ある日、ふと布引山を見ると岩角に
あの布が吹きつけられているではありませんか。
老婆は何とかして取り戻そうとしましたが
断崖絶壁で取る術もありません・・・
一心不乱に念じると、布は石と化してしまいました。
いまでも、布引山の断崖には、
白く布の形をした岩肌が眺められます。
布引観世音菩薩が、牛に化して信心のうすい
老婆を善光寺阿弥陀如来の許に導き教化をしたそうです。
今年は丑年で、アッ、善光寺も御開帳の年ですね
もうこの参道みると、ワクワクするのです・・・
Posted by はるなのフルーツ at 22:47│Comments(2)
│フルーツ日記
この記事へのコメント
へ~ここが由来なのですか?
今月、善光寺に行ってきましたが、良いところでした。
御開帳の時にまた行きたいと思っています。
今月、善光寺に行ってきましたが、良いところでした。
御開帳の時にまた行きたいと思っています。
Posted by 弥乃助 at 2009年02月27日 22:57
☆ 弥乃助さま
コメントありがとうございます。
弥乃助さん、迷道院高崎さんのブログを拝見するのが
ココのところ、日課なっております。
お二人のブログ、トテモ勉強になります。
ハイ、「布引観音」はある意味、整備されておらず、
「古道を行く」という、観点からみますと
素晴らしいところだと思いました。
ちょっと、石段の高低差が高く、
足腰の弱い方には大変かもしれません・・・
コメントありがとうございます。
弥乃助さん、迷道院高崎さんのブログを拝見するのが
ココのところ、日課なっております。
お二人のブログ、トテモ勉強になります。
ハイ、「布引観音」はある意味、整備されておらず、
「古道を行く」という、観点からみますと
素晴らしいところだと思いました。
ちょっと、石段の高低差が高く、
足腰の弱い方には大変かもしれません・・・
Posted by はるなのフルーツ at 2009年03月01日 12:38