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お問い合わせは、 info@gunmawen.net本広告は、30日以上記事の更新がされませんと自動的に掲載されます。 記事が更新された時点で、自動的に破棄されます。2010年09月27日
伝心! 六文銭 (信州上田編)その2
週末 どういう訳だか 上州にいたくないワタシは
何かに導かれるように 観光大渦のまち
信州に向かったのでありました・・・。
先日、真田幸村さんについて少し触れさせて頂きましたが
今日は 「歴女」さん達の燃え盛る情熱の炎に油を注がない
程度にお話しをさせて頂きます。
さて、私は何度かこのブログでも紹介させて頂きましたが
真田幸村の幸村(ゆきむら)の名前は本当の名ではありません。
本当の名は「真田信繁(のぶしげ)」と言います。
では、この「幸村」と言う名が、なぜ浸透してきたかと言いますと
これは諸説が多くあり、実は立証されておりません。
ただ、江戸後期、軍記物や講談などで忠義の悲運武将として
語られているところから人気を博したようです。
本名の「信繁」についてですが、(本名と言うのも可笑しな話しでが・・・)
これは武田信玄さんの実弟、武田典厩信繁さん(たけだてんきゅうのぶしげ)
からの由来だそうです。
父である真田昌幸さんは、かつて武田家に仕えており、
尊敬をしていた典厩信繁さんの名前にあやかり、二男の息子に
その名を付けたと言われています。
ですから、生粋の幸村ファンはあえて「幸村」を「信繁」と明言しております。
近年、ゲームやアニメなどで、伊達政宗さんと人気を二分している
真田幸村(信繁)さんは、男性は勿論のこと、若い女性からも圧倒的な支持を得ております。
「幸村」が本当は「信繁って言うんだよ」 なんてことは
もしかすると、いささか 野暮ったいことかも知れませんネ。
(ですがココにこだわっている方がいるのも事実です それはそれで大事なこと)
上田市からしてみても、まずはどういう経由でも良いから
とにかく、上田城にお越しいただいて、「真田氏の歴史気風を感じて下さいな」
お気軽にどうぞ的な、ニュアンスで観光宣伝しているように お見受け致します。
真田幸村と言えば 赤備えの六文銭
法螺貝を吹き戦闘開始の烽火が揚がる!ヴォウヴォ― ヴォウヴォ―
この話題はもう少し続きます・・・・
何かに導かれるように 観光大渦のまち
信州に向かったのでありました・・・。
先日、真田幸村さんについて少し触れさせて頂きましたが
今日は 「歴女」さん達の燃え盛る情熱の炎に油を注がない
程度にお話しをさせて頂きます。
さて、私は何度かこのブログでも紹介させて頂きましたが
真田幸村の幸村(ゆきむら)の名前は本当の名ではありません。
本当の名は「真田信繁(のぶしげ)」と言います。
では、この「幸村」と言う名が、なぜ浸透してきたかと言いますと
これは諸説が多くあり、実は立証されておりません。
ただ、江戸後期、軍記物や講談などで忠義の悲運武将として
語られているところから人気を博したようです。
本名の「信繁」についてですが、(本名と言うのも可笑しな話しでが・・・)
これは武田信玄さんの実弟、武田典厩信繁さん(たけだてんきゅうのぶしげ)
からの由来だそうです。
父である真田昌幸さんは、かつて武田家に仕えており、
尊敬をしていた典厩信繁さんの名前にあやかり、二男の息子に
その名を付けたと言われています。
ですから、生粋の幸村ファンはあえて「幸村」を「信繁」と明言しております。
近年、ゲームやアニメなどで、伊達政宗さんと人気を二分している
真田幸村(信繁)さんは、男性は勿論のこと、若い女性からも圧倒的な支持を得ております。
「幸村」が本当は「信繁って言うんだよ」 なんてことは
もしかすると、いささか 野暮ったいことかも知れませんネ。
(ですがココにこだわっている方がいるのも事実です それはそれで大事なこと)
上田市からしてみても、まずはどういう経由でも良いから
とにかく、上田城にお越しいただいて、「真田氏の歴史気風を感じて下さいな」
お気軽にどうぞ的な、ニュアンスで観光宣伝しているように お見受け致します。
真田幸村と言えば 赤備えの六文銭
法螺貝を吹き戦闘開始の烽火が揚がる!ヴォウヴォ― ヴォウヴォ―
この話題はもう少し続きます・・・・